八王子の歴史 千人同心

週末2週連続台風が来てしまったので、今週こそ晴天になる事を祈っている田谷です。
今回は、前回、青木万年堂さんの葵千人を紹介した時に触れた千人同心について、詳しく紹介したいと思います。

まず、千人同心の発足についてです。

1590年に北条氏照が城主だった八王子城が豊臣秀吉の関東制圧で落城し、徳川家康が江戸への入府の際に、武蔵国多摩郡八王子(現 東京都八王子市)を甲斐・武蔵の国境警備の重要拠点、敵の侵入を守備する重要な砦と考えました。滅亡した甲斐武田家の家臣達、約250人を八王子城下や甲州道の警備のために現在の千人町に配置し、次第に500人に増え、そして1000人に増え千人同心と呼ばれるようになりました。八王子の甲州街道と陣馬街道の分岐点に広大な敷地が与えられ、現在の八王子市千人町に、千人頭の屋敷と千人同心の組屋敷があったと言われています。

八王子千人同心屋敷跡記念碑
八王子千人同心屋敷跡記念碑看板

次に、千人同心の功績についてです。

千人同心は警備を主任務とする軍事組織であり、徳川将軍家直参の武士として仕えていました。千人同心は千人頭と言われる旗本を筆頭に10組、各100人で編成されていました。千人同心は1600年関ヶ原合戦では、家康の警護を行い、1592年には、豊臣秀吉による朝鮮への出兵もしています。1652年からは、交代で家康を祀る日光東照宮を警備する日光勤番が主な仕事となりました。

八王子市役所近く鶴巻橋の千人同心像

今回のブログで千人同心について調べていくうちに、修学旅行以来行っていない日光東照宮に行ってみたくなりました。

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Kazuyoshi. T

総務部課長西都ヤクルト販売株式会社
入社年:1995年 現在、総務部に所属しており、経理部門と新卒採用を担当しています。生まれも育ちも八王子です。入社する前から、ヤクルトスワローズのファンで、毎日の試合結果に一喜一憂しています。

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