立川のトリビア【高松町1丁目交差点のまんなかの巨木】について歩いています。

高松町・立川市立第五小学校ちかくにある立川五小北の交差点前の大けやきは伐採されました。立川市道路課で樹木調査をしたところ、この木は枯損と判断されたもようです。
(2023年10月現在)

 

もう何年も前から気になっていました。何故この巨木は残されたのでしょうか。

くるりんに出迎えられ、立川北口から現地の高松町1丁目まで歩きました。

Google-mapで調べると、高松町1-15-18 高松新道記念碑にある風景です。streetviewでも確認できます。

あまりにも地元になじんでいて、「そう云われると、不思議よね。」「そう云われても、子どもの頃からあったから」・・・近隣の皆さんには、なじみ深い風景なのでしょう。
長年、“この巨木の秘密を知りたい”と思いつづけているのは私だけなのでしょうか。

ネットではいくつかの記述がありますが、わたしの抱いた疑問の正解にはほど遠いので歩いて調べる事にしました。

近隣には熊野神社があります。

熊野神社

何も答えはありません。真夏の探索にはありがたい休憩になりました。きれいな水の流れが印象的な神社です。

日を変えて、Facebookのグループ【立川人ここいいよ】に高松町の巨木について投稿しました。すると、ある方のコメントに歴史資料館を訪ねてみたらいいかもしれない。ということで、立川駅南口の諏訪神社をお参りして 立川市富士見町をめざして歩きました。

ちなみに、この日の歩数計は過去最大値の23,974歩を記録しました。ローバの休日の醍醐味がここに花開いております。

肉体的には翌日快適でした。しかし、翌々日は筋肉痛でまいりました。“ここ笑うところですから。”


振り返ると、東京都農林試験場あたりの巨木の、見事な夏風景でした。
このあたりにも答えは得られずに、皆さまの情報をいただきたく、お願いいたします。
1973年(昭和48年)高松バイパス一部開通
1978年(昭和53年)南北道路 栄緑地一部完成
1985年(昭和60年)歴史民俗資料館オープン
このあたりの年表をたどって歩いています。まだまだ私の好奇心は続きます。

前回の投稿(立川シネマシティ)でも少しふれましたが、立川には基地がありました。広大な跡地に様々な施設が建設され、立川は今も変わりつつあります。私は戦争を知らない世代です。しかし、立川の様々なトリビアを踏み込んで調べるにあたり、戦争の影を踏んでいるような気がし始めました。

最後に、帰り道で発見しました。わくわくです。

立川けやき座

高松新道記念碑

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金子 美紀

1957年4月18日生まれ。 アポインターをしています。ネット応募の方を宅配センターまでご案内する仕事です。 電話や、メールの向こう側にいる方がヤクルトレディの第一歩を踏み出すためのお手伝いをしています。 趣味はカメラと神社仏閣仏像。ネイティブな物にとても惹かれます。 反面、最近はエクセルの関数にはまっています。 夢は世界を旅する写真家です。

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